神智学 教えの紹介(3―9)
「移り変わりの激しい心(モンキー・マインド)」
瞑想中には内的な精神の状態として「移り変わりの激しい心(モンキー・マインド)」と呼ばれる状態があります。「移り変わりの激しい心(モンキー・マインド)」の状態とは猿が枝ら枝に飛び回るようように、ある一つのものに着目した後、別のものに移っていく意識の流れです。あなたが瞑想して一心集中している時、、あなたの考えは、あなたが来週末に行なうことや、あなたが明日向かわなければならない未解決の問題を思い浮かべるようにゆっくりと移っていきます。しかしあなたには猿の心の活動を止める力と、霊的性質を発達させるのに必須である静寂な精神状態を成し遂げる力があります。瞑想はこの精神のコントロールを訓練する方法です。
平和の内なる中枢
世界の困難な状況が増加するにつれて、より穏かな生活のための第一歩として、精神をより清浄にするため、自らの人生において力と智慧を解放するため、そして最も重要な目的である自ら内の力と平和の源泉を直に理解するために、多くの人が瞑想を実践するようになっています。
この瞑想という霊的探求において、私達は瞑想は内的な旅であるという事実を見逃してはいけません。ちょうど大海には、海面のさわがしい波にまどわされない静かな深い部分があるように、すべての人間には内なる深みの部分があるのです。この内なる深い部分は、我々のすべての本当の中心であり、源泉であり、そこには、静けさ、平和、美があります。私達はこの内なる中心に到達することができるのです。
内なる中心に焦点を合わせた意識は、すべての人間の真の霊的性質である神聖な潜在力を解放することができます。しかし私達のほとんどは、物質界の日常生活の活動と自分のために努力することに夢中になっていて、自らの霊的性質とひとつのエネルギーの源泉から流れて来る光を、締め出しています。
我々の執着心、いつもせわしない心、恐れ、欲望、疑念、自らの判断が、私達が取り入れようとする霊的力の量を大きく制限しているというのが、自然の法則です。
瞑想によって、これらの障害を取り除き、意識の霊的段階に通じている門戸が開かれるのです。そして創造性、天啓が私達の生命に流れこみ、私達の直面している諸問題を少しづつ解決し、私達は自らの行なうことすべてにおいて、愛と平和を表現することができるのです。瞑想とは、完全な静寂であり、体と言語の能力、および精神の静寂です。
精神の静寂を見出すために、我々は自らの行動、思考、感情が本来どのような性質のものであるかを認識し、それらに自らが支配されないようにする繊細な技術を学ばなければなりません。私達は自らの精神に静かになるように強要することはできせんが、自らの意識を精神の落ち着かない状態から引き戻すことはできます。瞑想とは、私達の最も深い自然の状態であり、いったん自分の精神の落ち着かない状態を止めることによって経験する純粋な意識の状態です。瞑想は私達にとって、難しいことであるいえるでしょう。なぜなら瞑想するということは、自分の純粋な状態である「何もない状態」を実際に行為として行なうことであるからです。
何世紀も前から存在する科学
瞑想は、最高の霊的教えにおける中心的存在でした。瞑想は静寂の中で各個人によって行なわれるので、説教や聖歌のような大勢の人によって行なわれるものよりも知られてはおりません。しかしながら、何千年も前にインドの聖者、パタンジャリによって確立された瞑想の指導法は、今日でも用いられています。パタンジャリは、はじめに貪欲と官能に基づくのではなく、無害、真実、簡明さ、満足に基づいた純粋な生活が必要であると教えています。
パタンジャリが瞑想を実践する人に第一に指示したことは、精神が揺れ動くのを妨げて遅くすることであり、精神が刺激を認識し、刺激に反応することを止めることでした。そしてパタンジャリは、瞑想の習得のために必要な以下4つの段階を説きました。
観察 (留意)
絶えず注意を怠ることなく観察することは、瞑想において不可欠である「留意する精神」を発達させます。 私達は自らの思考と感情の背後にある条件について、常に注意を払わなければなりません。また私達は我々の真の自己である静寂の中心からの直観によって、行動するように努めなければなりません。こうした行いをすることによって、私達は瞑想の本質的な過程は、人生を生きることそのものの総体的な技術と異なることではないことを理解するのです。
一心集中
一心集中は、「猿の心」を訓練するのに必要です。私達は精神を物理的対象、あるひとつの思想、尊敬すべき人物などにしつかりと固定し、その対象が過ぎ去ってしまったときは、呼び戻さなければなりません。精神が対象から離れようとしても、自らの思考の過程を注意深く見守っていくことによって、自分が自らの意識の内容と活動を決定するのを確実にする技術を学ぶことができます。
瞑想
適度な瞑想状態は、活発な思考が停止し、瞑想の対象の内的意味に気づくときに始まります。その状態は、ある一点に集中すること目指していたものが、その集中する点がなくなり、その後全体性を経験するようなものです。
観照
この観照という瞑想の最終的段階においては、瞑想実践者は、完全に瞑想の対象と一つになります。この状態は、瞑想実践者に、自らの小さな自己を大いなる自己へと高揚させる意識の拡大をもたらします。瞑想のこの状態においては、もはや「私」とか「それ」という区別はありません。そこにはただ一つの実在があるだけです。
瞑想の方法
おのおのの人によって、各自それぞれのやり方で瞑想する傾向があります。しかし、以下に記した一般的な瞑想法は、すべての伝統的な瞑想法に共通のものです。
1、自分の部屋で毎日同じ時間に規則的に瞑想してください。
2、背骨をまっすぐに伸ばした快適な姿勢で座ってください。
3、すべての筋肉を緩め、深い呼吸をすると効果的です。
4、慎重に、自分の注意を外部の刺激から内面に移してください。
5、以下に概説されている瞑想の特定の方法をのうちの一つを実行してください。
6、あなたが経験した平和の精神を外の世界に向けて放射してください。
7、瞑想から約15分かけて、ゆっくりと正常な意識にゆっくりと戻ってください。
精神を静めることを容易にするものとして、いくつかの特定の方法が瞑想実践者によって使われています。そのうちのいくつかを以下に概説します。
1、呼吸に集中すること。
鼻腔を出入りする息に意識を集中してください。呼吸の数を数えないようにして、呼吸の自然の流れにまかせてください。そして意識を呼吸に集中してください。この行為がしばしの間あなたの一心集中を持続させて、高級な意識への唯一の門戸が開かれます。
2、マントラの使用 マントラとは、その独特な波動的性質により、私達を意識の霊的領域に結びつける言葉です。古代インドの「オム」(英語ではアーメンに相当)のようなマントラを口にすることは、瞑想における強力な支援となります。
3、ある対象または考えに意識を集中すること
ある象徴または「私は神と一体である」というような格言は、瞑想を始めるとき集中するための素材として使用することができます。
4、精神を空にすること
多くの瞑想実践者は、単に自らの精神を空にしようと努めるか、または精神の活動を沈めようと努めます。その理由は、このことが成し遂げられると意識の拡大が引き続いて起きるからです。
人間の精神の制御に干渉する技法は、とても危険であるという理由で、推奨されてはおりません。偉大な霊性の教師達は、瞑想を容易にするものとしての麻薬性薬物の使用に強く反対してきました。これらの麻薬性薬物が超現実的な意識の世界を開くとしても、麻薬性薬物が意識を霊的な段階に高揚することはありません。この麻薬性薬物による経験は、その経験が瞑想実践者のコントロールの下にあるものでないので、危険なものです。同じ危険は、チャネリングや自動書記にも該当します。
瞑想の目的
瞑想の究極的な目的は、ヨガの究極的目的と同じであり、個人的自己が、大いなる自己即ち我々が神や自然として考えている大いなる一者を経験するのを可能にすることです。
この経験は、最も大きな霊的成就です。ある人はこの状態を以下のように記述しています。
わたしは、自分の身体を強烈に意識していました。しかし、私は今までない高さに自分の体がない状態で浮遊しているのを感じました。私の中のすべてのものは、金色の光の中でゆるやかに振動しているように見えました。
そこは完全な静寂の状態でした。私は、絶対神との個人的な障壁を感じませんでした。私は、すべてのものが存在する全宇宙が私の中にあり、また私自身であることを感じ、永遠に浮かんでいるように感じました。
さらに学ぶための推奨書籍
「静寂な精神を見出す」 ロバート・エルウッド著(未邦訳)
「瞑想 実践研究」 アデレイド・ガードナー著(未邦訳)
「瞑想入門」 アーネスト・ウッド著 たま出版
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