○私達は立ち去った人生から収集しているのでしょうか?
私たちは地上で生きていたことがあるのでしょうか?
様々な霊的伝承の教えは、今のこの人生が、私たちがこの地上で生きた最初のものではなく多数のうちの一つであると提案しています。私達は事実上、それぞれの新しい生涯ごとにその生涯を終わった人生から収集していると言えるでしょう。
私たちの個人の人生は、より大きな周期の一つの部分を形成しています。短い期間においては、休息と同化の期間による活動の時間を毎日過ごしているので、私たちはこの転生(生まれ変わり)という提案に日々かかわりあいがあるのです。それぞれの新しい日々は、成長のための機会としての新しい出発点と見なすことができます。
人間の状態を説明するいくつかの見解について考えていきましょう。それぞれの人は、自分の人生におこなっている統御の度合いについて緊密な関係を持っているのです。
1. たびたび宗教によって与えられた一つの説明は、私達は神によって創造されたものである魂を持っているということです。これは、私達の運命は、私達の統御する能力を超えた意志や力によって統御され支配されているということをほのめかしています。
2 唯物主義的な科学は、人間のさまざまな違いは、遺伝と環境が結合した影響によるものであると提示しています。この科学の主張は、私達は自分が限られた統御の力しか行使することができない遺伝的環境的要素の結果であるということを提示していて、私達は自分のことについてかなり無力であるということを意味しています。
3 すでに簡潔に述べられている三番めの説明は、転生(生まれ変わり)あるいは一連の再生誕を含んでいます。転生(生まれ変わり)が、原因および結果(すなわち行いと反応)の法則と結びつけられて考えられる場合、私たちの現在の状況は自分の過去の行いの結果として見ることができます。
この転生があるという第三の提示は、私たちが現在の生涯、未来の生涯にたいして相当な統御を行うことができ、私たちは自分の現在の考え、感情、行いによって自分の運命に影響を及ぼすことができることをほのめかしています。
上記の第一番目の説明では、私たちは神による特別の創造物であり、私たちは個人の過去生涯は持っていないが、私たちは無限の将来を持つように思われるといえます。この第一の説明では、私たちの性格は、神によって特別に創造され、私たちの側で選択することはできないように私たちに課されています。
第二の遺伝と環境の説明では、進化は重要になります。しかしながら、聖人である性質や天才のような特質を説明するには難しいところがあります。
第三の説明では、転生(生まれ変わり)と進化は、科学によってまだ認められていない付随的特徴が伴う本質的な様相です。
転生(生まれ変わり)は、遺伝的要因と環境的要因によって非常に影響を受ける我々の肉体的進化と同様に、知的な進化と霊的な進化も考慮に入れています。
原因と結果の法則であるカルマを伴う転生(生まれ変わり)は、選択の機会を提供し、バランスを回復します。
我々は転生(生まれ変わり)の周期に入って巡礼をはじめる霊的な魂を持っているという考えをよく考えてください。私たちは楽しい経験や痛い経験から学びとります。また、これらの経験の結果は、私たちの知的道徳的能力を発達させるのを助けます。
それぞれの新し人生の初めにおいて私たちが生まれるときの性質は、それゆえ自分で作り上げてきたもので、私たちが長い進化の旅行で達した段階を示しているでしょう。
私たちがそれぞれの人生で遭遇する遺伝と環境は偶然ではなく、私達の以前の人生の考え、感情、行動の結果であるということが示唆されています。この見解によれば、私たちの知的性質と道徳的性質もまた過去の努力の結果です。
したがって私たちのすべての性質は、私たちが多くの肉体に入って行う人生の間に行なった選択の結果です。そして、それらの選択は、私たちが進化するごとにより思慮深くより慎重になっていきます。
永遠の知恵教えに基づいた神智学の転生(生まれ変わり)の見解についてのいくつかのより深い考えが、あなたの考察のためにここに提示されています。
○過去世の記憶
転生(生まれ変わり)が語られるとき、「もし以前、私が地上で生きていたとするならば、なぜ私は、自分の過去世の記憶を思い出さないのでしょうか」という質問がよく聞かれます。
確かに、私たちは現在の人生のできごとを記憶するよりも忘れることが多いことにほとんどの人は同意するでしょう。
多くの人々が、識字して読む学習を思い出すことができません。しかし、人々が読むことができるという事実は、人々が識字して読む学習を行ったことを証明しています。幼小期と若さの出来事は記憶からだんだんと消えていきます。しかし、そうした記憶は私たちの性格に痕跡を残します。
私たちが現在の肉体の中で遭遇した経験によって非常に影響されるのであれば、以前の転生(生まれ変わり)において遭遇した過去の多数の経験の結果は、どのようにさらに私達に影響を与えているのでしょうか。
私たちの現在の肉体と脳がそのような遥か遠い昔の出来事にまったくかかわりあっていないのに、私たちはどのようにそれらの遥か遠い昔の出来事うちのひとつでも思い出すことができるのでしょうか。しかしながら、これらの過去世の出来事の記憶はすべて消えてしまうことはありません。
これらの出来事が、最終的に私たちが進化過程ののちに読解が可能になる永久の記録を残すと思われます。本当に思い出すことをおこなうのは魂なのです。
はじめて会った見知らぬ人を知っていると私たちが感じる場合、魂は過去からの友達を認識しているのかもしれません。私達が見知らぬ人に否定的に反応するとき、魂がその人は昔は敵であったことを認識している可能性があります。
これらの親近感(もしくは警告)は、内面の深いところから来るのです。私たちは思い出しているのですが、肉体と脳が今回の生涯のものなので、私たちは細かいことを思い出すことができないのです。
○何が生まれ変わり(転生)するのですか。
生まれ変わり(転生)するものは何かと考察することは、記憶の問題に答えることの助けとなるでしょう。神智学の見解は、人間は多くの様相すなわち"いろいろな体"
(*1)を持っているということです。
(*1)科学だは計測できない精妙な雰囲気、オーラの体
私たちは、私たちの人格(パーソナリティ)を作り上げる一時的な側面(肉体、感情と実際の知的精神)から構成されています。
もう一方では、多くの転生(生まれ変わり)を経て獲得された経験の結果の蓄積を含んでいる、私たち自身のより深い霊的で不朽の部分があります。
私たちを構成している様々な側面は、分離しているのではなく、互いに浸透していると言われています。
転生(生まれ変わり)の周期を通じて私たちと共に残ると言われている私たちのより永久的な自己は、しばしば魂と呼ばれます。
死では、一時的な様相は剥がれ落ちます。そして私たちが肉体に入る前に、それらのはがれ落ちたものそれぞれの元素に返ります。新しい知的、感情的、肉体の物質は、新しい転生(生まれ変わり)、誕生のために形づくられます。
前年の会計を閉じて新しい年の会計を作成する会計係は、新しい年の会計に古い年の会計をすべて入れるわけではありませんが、前年と今年のバランスをとるようにします。
同様の方法で、魂は、新しい肉体へ過去の生涯の経験の結果である性質、傾向、能力を移していきます。私たちの良心、感情的訴えと知的な訴えに対する私たちの本能的な反応、論理的な議論の力を認識する能力、正と悪の基本的原則に同意する認識など、これらは過去の経験の結果です。
○能力の成長
進化による発展は転生(生まれ変わり)の重要で不可欠な側面です。
人間の完成に向けて連続的な成長が強調されます。そしてこれは、個人的な努力によって達成されると私達は理解しています。神智学の教えによれば、私たち逆には進化しません。たとえば、生まれ変わらせる、動物や植物として生まれ変わるということはありません。
これに反して、すべての分野の私たちの人間の潜在能力を十分に発達させる、人間の形を再びとる自然な衝動があります。この過程は多くの人生を必要しますが、私たちが利他的な生き方をすれば、促進されるかもしれません。
哲学と科学が速く理解され適用されるときや、芸術が容易に習得されるとき、これらは経験した事実は忘れられてしまったとしても、過去世の人生において獲得した業績の結果であるかもしれません。
○霊的成長
過去世の記憶は回復することができますが、この過去世を思い出す能力は霊的な成長と関係があります。落ち着かない心が統御され静められることは重要です。私たちが自分の魂の静かな声を聞くことができたときだけ、過去世の話は解き放たれ、て過去世が含んでいる教訓は、完全に学習されることになります。
過ちのあとには苦痛が続きます、しかし、一旦私たちが同じ誤りを再び犯さないことを学べば、これは建設的なものになります。強さは努力によって発達します。
私たちはすべての経験から、必然的に生じる結果を学習しています。:幸福は正しいことをおこなうことから生じ、悲しみは間違ったことをおこなうことから生じます。
すべての場合において、過去は現在を説明し、現在は将来に影響を及ぼします。多くの生涯を通じての霊的成長の考えを受け入れば、私たちは自分自身の将来の構築についてもっと責任を負うようになります。
私たちの人生は、ますます完成に近づいていくことでしょう。そして、人間の魂の旅路の終点に到着し、私達の出て来た大いなる本源に帰ります。その道の途上で、人類の進化へさらなる有効な貢献をすることができるのです。
さらに読むための推奨本
『神智学の鍵』 ブラヴァツキー著 田中恵美子訳 竜王文庫
『転生の調査』 ジョン・アレゲオ著 (未邦訳)
『転生は事実か誤りか』 ジェフリー・ハドソン著 (未邦訳)
『転生の経験 』ジェームス・S.・パーキンス著 (未邦訳)
『キリスト教における転生』マクレガー・ゴッデス著 (未邦訳)
『転生 不死鳥の火の神秘』ジョーゼフ・ヘッド、S・L・クランストン共著
(未邦訳)
『前世を記憶する子どもたち』 イアン・スティーブンソン著 笠原敏雄訳 日本教文社
『カルマと転生』 クリスマス・ハンフリー著 (未邦訳)
2『カルマ』(因果応報の法則)
神智学は、秩序が宇宙に浸透しており、法則の影響の下にないものはないと提案します。神の計画はすべてのものを統治しています。自然の法則は、物質界だけでなく、同様に考えの領域と感情の領域でも働いています。
カルマは日常生活のすべての行為と関係づけられる霊的な力学です。カルマという言葉はサンスクリット語で、行為を意味し、また原因と結果のすべての周期を意味します。
カルマは意味と理解においてエマーソンの償いの法則に近いものです。このカルマの法則は、特に、過去の私たちの態度および行動を通じて原因によって引き起こされた結果の蓄積に関連しており、また将来の結果になる現在新たに作られている原因を含んでいます。
物理科学、エネルギーの粒子が宇宙のいかなる場所にも出されるとあとには、必ずその後に続く結果があることを示しています。空中に投げ出された石はすぐに重力の法則の結果、地上へ落ちてきます。時計を巻くことに費されたエネルギーは、もっと遅れて結果となって生じてくるしょう。しかし、生じる力は、原因となったエネルギーの元の費やされた量とまったく同じでしょう。 化学元素を混合する際、反応は即時に起きるかもしれないし、あるいは長くかかるかもしれません。
私たちは行動、考え、感情を集めているので、こうしたものごとにへの反応は人生の科学においてまさしく真実です。結果はすぐに起きるかもしれないし、あるいは不明瞭な要因に従って延期されるかもしれません。
すべての考え、欲望、行動は、再調整の過程を通じて平衡をある程度乱してしまいます。
このカルマの法則の働きは、本当に物理的な法則が法則としてあるように真に道徳の法則として存在しています。そしてこのようものであることが直接に観察することができます。私たちは運命を選択しています。
このカルマの法則は、私達がこのカルマの法則に気づいていようとなかろうと働きます。このカルマの法則の働きによって私達の運命は形成されていきます。このカルマの法則の継続的な活動は、もっぱら私達の自由意思に依存しています。自らの無知よって、私達は自分の利己的な行い、感情、考えで自分自身を束縛してしまいます。
幸福と平和を見い出だすためにカルマの法則を学習した時には、私達は利己的な行動の流れを止めなければなりません。私たちは、転生(生まれ変わり)の周期的必要性からの解放のために、このカルマ法則を意識的に用いていくべきであると思います。
最も小さな考え、行動でさえ避けられない結果を持っています。新しい町に移ることが古い町で負った負債を帳消しにできないように、死はカルマの法則の帳簿を解決しません。
私たち一人一人は、自分の進歩にとって役立つかまたは敵対的に思える環境と家族の中である性格を持って生まれてきます。実際には、すべての状況は私たちにとっての機会です。というのはそうした状況というのは過去の人生の自然の結果であり、私たちの将来の成長めたの踏み台として見られるべきであるからです。
私たちの運命が私たちに課されているのではないのです。私達の運命は自分自身で作るものであり、そして私たちが日々自らの将来の運命の糸を織りなしているのです。
○原因・結果
時々、結果はそれに先立つ原因なしで考えられてしまうことがあります。また、したがって結果は完全に予測不可解に思えます。もしくは原因は目にみえる形であるのに、結果は目に見えないときもあります。
最初に転生(生まれ変わり)とカルマの知識に出会ったとき、人は、ほかの誰かの行動により引き起こされた原因の結果に自分が苦しんでいるという事実に憤慨しがちです。しかし不死の生命のパターンから見た時、そして連続する生命を通じて行きている内的な存在者が真に不滅であると考える時、すべての出来事は自らの自然な原因と論理的な結果であることが認められます。
なぜなら事実、結果は原因と密接に絡みあっているので、原因と結果は不可分なものとして見ることができます。これら二つは、一つの原因結果のセットとして考えることができるかも知れません。霊的力学の法則は、私達を責任を回避することを望んだりしない、求めたりしないという理解をもった自己を信頼する人間へと作り上げます。
もっと正確に言えば、私たちは自分の環境対して強い意識を持った師匠になることを望んでいます。飛行士が重力の法則を理解し、重力に他の自然の要素を反対に働かせるこを理解することによって飛行すること学ぶように、私達は、法則を理解しその法則とともに働くことによってのみ、自然の法則を習得します。
同様に道徳の世界において、カルマの法則を理解し、行動するときに望ましくない結果を中和し、望ましい結果を生む原因を作ることを理解することによって、私達は結果が避けられないことを超越することができます。法則の不可侵で神聖な性質の法則の下で、私達の変化があり、過去の人生の結果である性格がつくらており、そしてより完全に近い将来の性格が造り出されています。
確かにそのような法則なしでは、私たちは、発展の絶え間のない潮によってだけ是方に運ばれて、すべての逆風のなすがままになってしまい、図表とコンパスなしで、果てしない海を漫然と漂流してしまうでしょう。
○カルマは宿命ではない。
カルマは宿命でも運命でもありません。このカルマという自然の法則を適用すると、良い運か悪い運というようなことがらのいかなる可能性も取り除きます。
よい運勢のすべてのできごとの後ろに、おそらく、その人が 現在の人生か、過去世かで意識的、るいは無意識的に蓄積してきた原因が存在します。すべての不運の後ろに、その人によって同様に生成されたエネルギーが存在します。
個人の蓄積されたカルマが人の進歩を支援するか妨げてしまうかということは真実である一方で、私たちはまだ私たちの行いの範囲内で選択する自由を持っています。絶えず努力をするか、選ぶか、努力をしないかによって、私達は、自分の自由の行く道を決定します。
宿命論即ち宿命は、状況や私たちの外側の力によって、私たちはきつく束縛されているので、私達の努力では自らを解放することができないことを暗示しています。カルマの法則が働いているもとでは、原因や諸力を生成する人がそれらを修正するか中和することができます。
私達は一時的に拘束されるかもしれません、しかし、私達は自分自身の拘束を造っているのです。今、私達は自らの将来を修正し、改善する力を持っています。
○基本的原則
人間の人生においてのほとんど無限の交換や結びつきがあり、このカルマの法則から抜け出ることがが非常に複雑であるかもしれない一方で、カルマの法則のある確かな根本的原則は直ちに理解され使用されてくるかもしれません。私たちは、通常、物質的、感情的、精神的(メンタル)という三つの世界で、それぞれの世界に適した媒体を持って生きています。
私達は、三つの世界のそれぞれで活動するたびにエネルギー、諸力を生み出します。これらのエネルギーはそれぞれのレベルに対応する結果をもたらします。物質的行為、行動は、物質的環境を創り出し、欲望は家族や他の人達との関係における社会的地位を決めます。そして、思考は知的精神的な能力や無能力となって表れます。
これらのことすべての合計が、私達が、性格と言っているものです。
○物質的レベルでの行動
もし、私達が他の人に幸福をもたらすような方法で行動すれば、私たちは、幸福と好意を広げるための機会が増えて幸福な物理的環境にいる自分自身を遅かれ早かれ発見するでしょう。他方では、私達の行動や行う上での失敗によって、他の人達に苦痛をもたらせば、結局、私達は自分が人生のより大きな叡智を学習するまで、自分が不幸な環境にいることがわかるでしょう。
カルマの法則それ自体は、誰にでも働くもので、良いものであるとか悪いものものであるかというものではありません。良い、正しいということは すべての存在は進化の発展途上にいるものであるとみなす進化論者の見地から定義されることかもしれません。それゆえ、悪いとか悪とは完成への進化を妨げるすべてのことです。
悪い行動の場合にさえ、カルマの法則は、悪事を働く者を罰するように働くのではなく、失敗の可能性を越えて、自然の目的は遂行されるというこを学ぶ教訓によって悪事を働く人に教えるように作用するのです。
○感情的なレベルでの行動
感情的なレベルで生成された力は、欲望や感覚の力です。要望の追求は、欲望の対象に私たちを結びつけることにより、自らの発展における努力と人からの援助を刺激します。私たちは、ある欲望が満たされたという結果を経験することによって、ある特別な欲望には賢い部分があることを学びます。
愚かな欲望の不快結果をな経験することを通して、魂は 低級な欲望を高い欲望へと上昇させることを学び、最終的にすべての欲望からの解放を獲得することを学びます。賢明なる欲望により楽しく過ごすとができた幸福な経験を通じて、魂はすべての環境において幸福でいられるという究極の力を持つことができ、自らの拡大と啓明を獲得します。
欲望は成長する機会を経験する機会をつくります。私たちは、いったんこの原理を獲得すれば、自分が特に努力したことの延長線上に、将来の機会を望むならば、私たちはその自分がしたことの線に沿った現在の要望を養うべきだけでなく、可能なかぎり、その欲望を行動に移そうと努力するべきです。
○知的精神のレベルでの行動
第三の力は思考の力です。考えることにおいて生成された力は、私たちの考える能力を増加させて、道具としての知的精神の力を高めます。ほとんどの考えは、第一に感情と結びついており、それゆえ、その考えた人を良いものであれ、悪いものであれ日々の日常生活における人間関係において、他の人との結びつくように運んでいきます。
思考はまた大きな創造する力で、その思考の力によって、人は習慣とその習慣の合計である性格の両方を造りあげます。行動は、植物が種から生長するような自然で必然的である思考の表現です。
この思考こそが私達の力への鍵です。私達が自分が思っているものになることを知っていれば、私達は私たちが所有したいと望む美徳と特質について考えるように思慮深く私たち自身を持っていくようにします。
思考の形成する力はゆっくりと、これらの美徳を顕現するように形づくっていきます。この過程は、運動によって筋肉が発達することのように自然なことです。そしてこの思考の形成する力は科学的に使用することができます。
○必然的な転生が意味すること
すべての人間は、絶えず肉体的、感情的、知的精神的とい三つのをタイプの力を生み出しています。これらの三つのタイプの力は、成功や失敗そして死後の意識の状態といった私達の人生の状態を決定するだけでなく、また私達の環境やこの後の転生(生まれ変わり)における他の人との関係をも決定します。 .
正義のバランスは、一つの転生における人生の中で、いつも収支があうものになるとは限りません。そのため、転生(生まれ変わり)はそれ自体が終了ではなく、本質的に終了への手段であると言われています。
転生の周期は、因果関係の法則が働くのに時間的な間隔を必要とします。公正の法則、および宇宙における平衡が再調整ということが、それぞれの個人の経験の中で働きだしてくるに違いありません。
私たちはまた、自分の行動において徐々に力、知識および技術を発達させていかなければなりません。私たちの神聖な性質を広げなければなりません。カルマを理解する上で重要なことは、動機は行動と区別されて考えられるべきものであるということです。
行動は環境に影響を与えます。しかし動機は人格に影響を与えます。私達が一つの不愉快なカルマに直面する場合、実際には、新しい性格の資質を作り上げる機会であることを覚えておき、カルマに建設的に向きあい、カルマを修正しようとに努力しなければなりません。
不運なできごとに出会ったときの勇気と平穏さを保つ力、自分の不幸に責任があると思われる人に対しての悪意のある憤慨の感情をとり除く絶え間ない努力が、現在と将来のカルマの結果を緩和するのに大きな役割を果たすでしょう。
○機会
時々、機会は私達のもとに訪れますが、その機会をつかんでものごとを成し遂げることは不可能であると私達は感じます。過去の願望と努力の結果としてカルマの法則がその機会をそこに持ってきたのでない限り、その機会がそこに訪れることはなかったでしょう。そのような機会は、勇ましくつかみ取っていくべきです。
もし私達があるものごとをおこなうことができるとすれば、私達は過去にそのものごとのためにおこなってきたことがあるのです。過去の努力の力をそそいだ方向に向かって、私達はあることを達成する潜在的な力を活発に表現することが最終的な段階に行けるはずです。
しばしば、カルマの働きは、すぐには感じられないかもしれません。そのカルマの働きは、種が、表面上は何も活動していないように死んでいるように見えていても、しかし、結局は発芽し、成熟し、実が収穫されるようになるようなものです。
私達の肉体的、感情的、知的な性質の肥沃な土壌に、私達は私達の将来の種を蒔きます。そして、自らにたくさんの過去の種まきの豊かな収穫をもたらすのです。収穫が、乏しく、実りのない場合、よい種を蒔くことによって改善することができます。
私達には、新しい種、愛の種、美という親切さの種を蒔く機会がいつもあるので、私達は、やがて寛容さ、信仰、美しさの実を収穫することになります。ある人の人格は過去の見える記録であり、将来の約束ごとでもあるのです。
私達の今日の資質と能力は、自らの過去の結果です。より大きな将来へと続く上昇の道を昇っているものでもあるのです。私達は上昇するとともに、現在をより将来のイメージに近く再形成していきます。そして過去の行為とは違った行動をとるようになります。
失敗は 完成へと続く梯子を一段昇るきっかけとなります。全体の時間を垣間見ることができたとき、そこには究極的には永遠の今があるだけです。
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